LastUpDate:04/12/11
古流射法 - 龍之口
平田 治

【脱線】 では、勝手で引くことを中心に考えた射法もあっていいじゃないか?

結論

いきなり結論ですが、和弓ではちょっと難しい(珍しい)技術ではないでしょうか。
もう一つ、私はこの手の射法を見たことはありませんが、実戦用法の限定された条件下では可用性があるのではなかろうか?と思っています。

 


考察

まず、和弓は押手の作用抜きに矢をまっすぐ飛ばすことは無理です。勝手中心という事は、この押手の力(角見)を失わないよう、弓に押し返されないために突っ張る力の一部として扱う事になると思います。
また、矢を放つにあたって勝手で主導するということは、勝手で的中を制御する つまり、押手を固定し、勝手を矢の飛び筋にそってに引き分け、その延長へ引き離すことになりますから感覚が現存する和弓の使い方と少し異なります。(大学生の射法の中には押手が棒のような働きしかしないものもあるとは聞きますが、最終的に左右のバランスを取っていれば均等射法の仲間になると思います)
短絡的には狙った1点への的中は難しい(精度はかなり悪い)でしょう。

ただ、精度をあまり問わない状況、いわゆる速射と言う技法(実戦用法)の中の一定条件下ではその可用性があると思います。

速射とは主に「(とも)」という弓具を用い手首の所で強制的に弦を止めて弓返りを止め、とにかく矢数を打ち出す技法ですが、これには弓構や打ち起しどころか型そのものがなく、放てば即、離れの真っ直ぐ伸ばした押手の位置から番えて引き。を繰り返すそうです。(いつどのように引き分けても同じように引き納められる技量が前提)
このとき矢を(勝手を)肩口まで持ってくるならば、その人の矢を放つ間隔がいくら傍目迅くとも、押手にとっては引き納めるまでの距離間で全てを調節できるため、それでも押手中心の三角射法でしょう(均等射法は速射に向かない事は本編の通りです)ところが、兜口のところまでしか引かないとなると、矢を放つ間隔が迅ければ迅いほど、(押手での調節は間に合わなくなり)押手は棒であるだけで精一杯になりがちとなり、引いた勢いだけで離すしかなくなってしまうでしょう。

ここまでなると兜口止めの速射は勝手中心の(勝手で的中を制御する、引く動作が狙いを兼ねる)射法と言われても仕方が無いかもしれません。(あくまで類推による心当たりです。この場合も「私はやっぱり押手で」と言うヒトには勝手主導の射法はありえないと言うことでしょう)
メリットという点から見ると勝手主導の射法は高速で射る場合に利点が生まれる方法と言えると思います。

河毛先生は晩年、日露戦争で知ったマシンガンの様に、高速に矢を射る射法を研究されていたと聞きます。私は拝見したことはありませんが ひょっとすると、これは相当するかもしれません。(マシンガンとまではいかなくとも、弓で「掃射」をするその様は壮観だったでしょうね)











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