LastUpDate:11/11/03
最近の見え方 (一貫流の【礼】の巻)
平田 治


 今巻は 一貫流の目から見た武家礼法について考察してみようと思います。

一貫流では礼法は流義に含めておりません。また、文献にも弓道場内では弓術探求優先のため礼法については大目に見る。という記述があります。

それはひっくり返せば 道場の外では厳しいよ ということなんですが ...

一言で言うと「武士の修めるべき嗜みの中には当然入っている」とはしながらも、礼法は弓術の中に内包するものではなく「別の習得科目として有るべきと考えている」という事になります。

また 一貫流を勉強する場合、どういう武士の在り方を理想としていたのか?という 弓術家よりもひとまわり視野を広げた一貫流武芸者について触れてみたいと思います。

 

 

分類としての弓法

 単刀直入に「弓の技術」と「礼儀作法」って一緒か?という問いについて ”切り分けられる”と考えている訳ではないが、”習得は分けた方が良いだろう”と考えていると思います。
簡単な例えですが、小学校では色々な授業があったと思います。「国語」「算数」...など別々の授業であったわけですが、確かに文字が読めなければ「算数」の問題は理解できませんし、その他も科目も全く相互に無関係とはいかない筈です。

武術においても 同様に、
目の前を歩いてくる人が刀を”右手”に持っているのか ”左手”に持っているのかで意味はかなり変わってきます。それを弓道家だから剣の作法は知らなくていい。と不用心に近づき、バッサリ切られて良い人はいないと思います。
それは武道に限らずお茶会など日常生活の中で一般に開放された場所や、武術であっても自身の流派以外の豪に入る時に最低限の身の処し方、そのすべてを弓術として一流門の中で扱うのではなく、「礼儀作法」という まとまった全国共通の一課目として考えるべきだ。というものです。
(余談ですが、小笠原流のような武家礼法の伝家であれば弓法と礼法を一緒のモノとして扱かえても、他の流派は日本の武士の作法は日本にただ1つ。としないと、日本に武家礼法が2つも3つもあれば混乱の元にもなります)

また、武術と道徳を別々に考える傾向もあります。言い換えると、武術は殺人術という事は決定事項。

しかし、それを扱う者は 人間 なのだから 人間の道徳 を修めなければならない。

そして、争いを回避する術(すべ)や交渉術の習得、争いの鎮静化の術 も武士ならば必要。
それでも避けられない戦(いくさ)として敵対したのであれば、事態はすでに礼の及ぶ処ではなし。

その結論が  「的は敵なり。的(敵)に礼は不要」  という言葉に出てきています。

また、近代弓道の言うように 武道を「武術・道徳の融合の境地」とする事も 武道を長く修めれば可能かもしれません。
ただ、長く修めるまでは「理解できないまま我慢一筋」というのも 苦痛 ・ 拷問 の類でしょう。理解できない事は手を抜くなど人材育成を失敗しかねない危険性と、たとえ辛くても身に起こる全てを精神力の鍛錬とする事の利便性、どちらを重視するとも方針は難しく、これについては良し悪しの意見が分かれる所に思います。

一貫流の「武術と道徳を別々に考える」発想は結構分かりやすく、年若い血気盛んな時期の人に武術と道徳の両立を説得しやすいため、人材を育てやすいメリットもあったのでしょう。
(長く修めれば見えてくるモノの一段階前の考え方として、今 納得して礼法の勉強・実践もサボらず、弓の練習にも励むように導くには手頃かもしれません)



礼法。何がために

一口に礼法は日本に一つと言っても主義主張は解釈する人、流儀により分かれていくでしょう。

姿勢良く、見る人に好印象を与え、自身も隙のない心構えで・・・。というのが一般的な礼儀作法の印象なのかも知れません。また最近、小笠原流の宣伝で 体を鍛えるモノ というイメージも加えられているようです。

ただ、

それは確かにイイ事だけど、時間を割いて練習するのは ゆとり がある時だね

と、一理あり と興味を持たれても、実行に移すには 敷居の高い話 として片付けられてしまっているのが現実ではないでしょうか?

話の切り口が少し変わります。
一貫流で「実戦の時代の技術を保存する」の流儀のもと、まあ具体的には「指矢三町遠矢八町」を目指そうとすると、てっとり早くは弓力上げを始めてしまいます。これが八分の弓あたりになると自然に気が付く事ですが、そろそろ意図的に筋力を上げなければ立ちいかない現実と 日常生活の中に体を鍛える時間を(弓の練習以外に)さらに設ける難しさの現実の板挟みに悩みます。
もちろん、これは武家礼法に則った日常生活をしていないヒトの場合なのですが。

日常生活を行いつつ、

その生活自体が筋力を上げる行動として日々過ごせないだろうか?

先に結論を言うと これが武家礼法。(公家・商人の礼法ではなく) と一貫流は考えている訳です
(当然、他にも知識・言動と礼儀として覚える事は多いでしょう)
。そして、誰に習うでなく 体を鍛えるつもりで日々生活していると自然 小笠原流礼法の動き”らしい事”をしている自分に気が付くでしょう。

つまり 大して力を入れずに武家礼法の動作を行えば、何げなく暮らしているよりかなり力が必要という感想に終わってしまいますが、逆に体を鍛える意識を動作に含ませて日常生活を行っても他の人にそれと気が付かれにくい動作でもあるワケです。(美しい姿勢・動作だなぁ〜と)

先代(8代)の河毛先生の話に「明治に入ってしばらく弓の稽古を止めていたが、鳥取にも武徳殿が出来てから再開した」とありますが、私の体験上、強弓は二,三ケ月引かないだけで体が萎えて引けなくなります。
先生が稽古を止めていた数年間のブランクの後、どうして再開できたのか不思議でなりませんでしたが、この疑問点には 武家礼法(生活方法) による恩恵がピースとしてハマる気がします。



一貫流文献 と 時代背景 について ちょっと ...

日本の武家礼法で私が”面白い”と感じる所は、お隣の中国の武術では各門家の中で武術鍛錬を含めた日常生活・動作の研究が秘密に伝承され、他流派へ公開される事がないと聞きますが、日本の場合 武家礼法という形で日本全国で統一された処世術の中に日常生活の在り方という武術の鍛錬法が組み込まれ、全国規模で(それとは知らず?)行っていた という事です。
(時間を設けての鍛錬は各流派・得物でそれぞれでしょう)
お国柄というのでしょうか? それとも、日本の歴史では必然だったのでしょうか? 奥義・秘伝は基本技の中にあり。達人の技は日常生活の中にあり。とは言え、そのまんまです。

これは一貫流が小笠原礼法を称賛・評価している理由になります。他にも一貫流は射風は日置、技術は小笠原から。とその伝承はかなり評価しています。一貫流文献でも小笠原流文献を引用する箇所は多い・・・にもかかわらず、小笠原流自体は褒めている箇所があまりありません。これは一貫流文献を閲覧すると まず 感じる違和感です。
となれば小笠原流の伝承に欠損や問題があるのかと思いきや、現在の方の話を書物で拝見していても口伝、理論、説明・実践と筋の通った所は昔の文献との違いを見つけられません。

この事は、一貫流文献を”実践を伴わず”吟味した場合に必ず突き当たる矛盾に思います。理論への評価は高く、その伝承の継承もしっかりしている。これのどこに不満があるのか?文献と頭の中だけで考えれば解決しない問題です。ひょっとして文献に語られていない事があるのでは?とも考えるでしょう。
しかし先にも挙げたように一貫流文献を”実践も伴いながら”日々過ごしていくと、その先、礼法を実践する事によって到達可能な理想を具現化、模範として示すべきモノは体現できているのか?について

一貫流歴代がそろって不満を評してきた。という所が問題に思えます。

逆に(一貫流伝承が途絶えた状態でも)自分の筋力を超え始める弓力に至れば 誰でも気付く事がなぜ(小笠原流礼法の道場で)教えられないのか?言い換えれば、一貫流先師の方々が小笠原流をあまり良く言っていない事が「可愛さ余って・・・」の話ではなかろうか?と、うすうす感付くのです。

手本を示す師範が「日々礼法を行えばこれ位の弓も軽くこなせる」と率先して強弓を引かない事。
”強力(ごうりき)を体現する事”も実戦流派の伝承の1つとする家伝が家系のどこで途切れたのかという研究の成果として水島流の名を出されたのでは?というのが現在の私の見解です。

一貫流文献で小笠原流を褒めている個所が少ない理由について 小笠原流の理論・伝承、家系への非難ではない という事だけ 誤解のない様 触れておきます。

もちろん理論を理想の位置まで実践するのは大変だ。と思いますし、どちらにしてもヒトの上達の過程を不甲斐無いと指摘する事は良くない事です。 また、そんなレベルで免許を与えるのか?を他流派が指摘するのは余計なお世話な気もします。
ただ、徳川期において小笠原流は今で言うと 最高裁判所 に相当するポジションにあったと聞きますので武士の模範たる身分の者の体たらく 見て見ぬふりはイカンと考えての行動とも取れます。むしろ、言論に自由のない時代によくまあ言ったものだ。と関心もします。

「小笠原の礼法道場師範はとてつもない強弓をお引きになるが、理由を聞いても微笑まれるだけで教えてくれない」という世評であれば一貫流という流派は起らなかったという事なのかもしれません。(ちなみにその当時、鳥取に礼法道場は現在の県立図書館の位置にあったようです)



あとがきに代えて

一貫流では ”誰の射礼が綺麗だった” という射礼の品評会みたいな話が残っています。つまり射礼が流門内でバラバラだったという事なワケですが 射礼を型や歩数の枠に嵌めるのではなく、行わなければならない動作(拝礼)を行う場所と順序は決まっていても、そこに行きつく 繋ぎの動作は各自が覚えた武家礼法に則って行動する事。習得のレベルは十人十色でも その重要性を個人がしっかりと理解して実践しているのであれば、射礼の美しさを競うのは余興としてアリかも知れません。(本分である武術の方は、一貫流では他流試合”禁止”です。これにも理由がしっかりとあります)

礼法が人と人の接し方、(敵陣においても)難クセ付けられない作法という点については現代生活でも十分通用する事は明白で、一般的に良く知れ渡っている事として今回の中では特に触れられておりません。

昔の人のやっていた事は分析してみると、往々にして一石二鳥を成す効率のいいモノである事が示すように 現代の礼法の解釈の影に隠れてしまっている武家礼法の側面のうちで一貫流らしい見解について今回は触れてみました。

礼法にはさらにこの他の側面もあり、決して見方は1つ2つのモノで終わりではないでしょう。実際にやってみると、正座がきついとか 対人関係に強く出れなくて損な気がするとか 面倒なモノの様に見えるかもしれませんが やってみて ソンはないと思います。