LastUpDate:09/11/01
最近の見え方 (一貫流の【術】の巻)
平田 治


 一貫流は地元鳥取の地において一般論では 『実戦流』 という事で通っています。 確かに弓についてあまり関わりのない人にもイメージとして とらえ易く、説明する側も正確な用語で説明するのが難しい人に簡単に納得して貰い易いため 便利に使われる言葉であると思います。
しかし『実戦流』の意味する所が一般にイメージされがちな技術・筋力のみを頼みとした乱暴者であれば、勉強も成らないまま即 出陣せざるえない戦時ならまだしも、知識習得に時間的な余裕がある時代では、正論的にも 一流 という重責を担うには少々荷が重い事でしょう。

 一貫流では「故実と武術とは車の両輪の如し」の教えが示す通り、道場で習う武術のみでもなく 本から得る知識のみでもない 今の言葉でいう文武両道とも言うべき所を目指しております。 私自身、一貫流について どれほど理解が進んだか。また、どこまで到達できるのか。は疑問ですが、後々吟味してみる もしくは、自己反省の材料として最近の見解を、

  • 一貫流の【術】の巻
  • 一貫流の【礼】の巻

の2部構成にまとめて順次公開してみたいと思います。

 

 



 



 

一貫流の位置づけと方向性

 現代においても実戦流の所は同様であると思うのですが、一貫流が盛況していた江戸時代においては自流派の優位性を示そうと凡そ全ての流派が口をそろえて「我こそは実戦流」を名乗り、一見区別が難しく思います。
その主義主張はそれぞれで「実戦の時代からの伝統」「実戦で有効な技術」「実用技術の追求」「究極の射技の追及」「実力主義」等々やはり流派に数があるだけ実戦の解釈も多いようです。
そんな競争が現代よりも盛んだった江戸時代においては一貫流のような小さな流派が自己主張するのは大変だったと思われますが、そんな中、一貫流が取る実戦流は「実戦の時代の技術を保存する」という事が文章に明言されています。

ここで 一貫流の位置づけと方向性を分かりやすく表現する試みとして、一貫流と他の流派の方向性を"技術力"と"弓力"とを軸に取り 比較する図を挙げてみます。
これは比較する流派の方向性も指摘してしまうため、門外者は勘違いを犯し易い上、間違えるとその意味を失う以上に反論の嵐を受難する かなり危険を伴う試みなので、色々な意見を知るべく資料も探してみましたが流派同士を比較した文献も見当たらず、かと言って現在 流派の違いが分かり難い事もあり、説明の必要上 あえて挙げてみました。

編集註)比較検討に際し日置流諸派で考察しました。文中、一貫流以外の各流派の記述については私が古文書にて拝見する江戸時代においての私的な見解なので、現在のそれぞれの流派とは方向性が異なってしまっているかもしれない事については、私の勉強不足、不肖の致す処であり 悪しからずご容赦願いたい。
実際問題、流派も射技も2つの軸で表現できるほど単純なものではない上、その門人でも全く逆の方向性の人もいるので分類という作業自体が無謀は十分に承知です。 強弓も江戸時代では流派を問わず今ほど珍しくはないですし、 参考と言う事で…

 『転載厳禁』でお願いします分類したがりの人には格好の図でしょうけれど。

(ここに挙がっていない流派がどういう方向性を持つかについては各自考察をしてみるのも一興ではないでしょうか?)

簡単な上図の説明として、

まず狙った所に当てる処まではどの流派もその習得の道に違いはないと思います。狙った所に当てるというのは、弓の技術的にはそれほど高度さを求められるものでもなく、そこからどういう方向に進むかで考え方が流派で異なっているという事を表しています。

次に狙った所に当てられるレベルに到達した後、印西派は(例えば弦拍子ぐらいしか私は知りませんが)射技そのものの完成度をどこまでも追及する方向を取り、尾州竹林派は弓力以外に技術面からも貫通力、飛距離の向上を追及する方向性に見受けられます。それに対して一貫流は射技の技術的な完成度の追求は狙った所に当たればそれ以上は個人の自由で、貫通力・飛距離は弓力をもって成す道を取るようです。

つまり、一貫流の弓術追及は的中率を落とさずに弓力の強さをどこまでも上げていく事であり、
そのまま 古代 弓が実戦で使用されていた時代の鍛練方法。これを残す事が流義となります。

(蛇足 : 今の人には流儀が「弓力を上げるだけ」という結論には拒否反応が出かねませんが、古代の鍛錬方法はどうだった?古代の技術を保存するとはどういう意味?を簡潔に表現すると否定できない処で、むしろ「表現が稚拙」と言えます。不文あしからず)

しかしそうは言っても 安直に強弓を引くのが一貫流とすると、まだ強弓を引けない練習生を何を以って”一貫流”とするのかは傍目納得が難しいのかもしれません。すでに宗家はありませんが 一貫流の先生に習えばみんな一貫流というような”体裁だけ”とか、さしたる理由もなく 一風変わった射形で練習する”恰好だけ”は 一貫流が最も嫌う処です。
「実戦の時代の技術を保存する」 言い換えると 那須与一(平家物語)、須々木四郎(太平記)といった名人の示された技術も、凡人たる我々でも達成可能であると信じて鍛錬を積まれた先輩方の背中を追いかけ、到達もしくはその先までを目指す”流れ”が一貫流であると信じます。もちろん、達成の度合いは当人が把握していればいい事で他人が干渉のする所ではないでしょう。
私自身は昔ながらの鍛錬方法と目標で日々の練習を行っているのであれば一貫流と呼んで構わないのではないか と思います。

(一徳先生の墓碑にある”約300m先の的に1078射、射率100発99中”の記述は、保元物語でいう名人”矢三町遠矢八町を外さぬ腕前”を具体的な数字で実現したものであるように思います)

また、一貫流では常射(基本的な引き方)で狙った所に当てられるようになった後は速射・応変の射(前後左右に矢を放つ引き方)などの応用射法の習得へと階梯が進みますが、江戸時代には速射や前後左右に引く応用射法は珍しくないため(具体的には騎射に犬追物があります) 他の流派から見た一貫流の特徴は遠的・強弓。と言う事のようです。

これが明治も半ばを過ぎると(現在は言うに及ばず)、速射・応変の射も珍しくなってくるようで、この辺りから他の流派から見た一貫流の評価は速射・応変の射に変わり(見た目の派手さの性?) 強弓は理解不能の境地。遠的は披露する機会の喪失(一寸の弓なら指矢三町遠矢八町≒近的300m 遠的900mは射場設定そのものが困難)から知る人のない特徴となったのかもしれません。


 

余談になりますが、一貫流の眼から見た武術の理想は確かに「当地ノ射術家形容ニ流レ実用ヲ欠キタルヲ憂ヘテ一流ヲ起サレシ流」が第一義ですが、同時に弓術に特化した身体を作るより 強弓 = 大きな力 を精密に制御する能力を剣や槍など別の兵器にも転用できる汎用性のある身体の育成もあるかもしれません。弓術とか個別のものではなく その事が「実戦の時代の技術を保存する」とも取れます。(こちらは現代においても便がいいですね)

しかしこれは一貫流の源流に当たる竹林流大口派の大口子積師範の起草によるもので一貫流独自の発想ではありません。今となっては(他に思想を継ぐ流派がない以上)一貫流の思想になるのかもしれませんが。ここであえて一貫流と大口派の違いを挙げるなら「弓槍刀 ノ 三術」という到達方法の策定なのでしょう。

(大口先生にしてみても、免許皆伝を授けた自分の弟子が目的到達における"弓槍刀 三術"の有用性についての可否を質問してくれば、「良し、おまえは弟子を取れ!」てな話運びになりそうに思うのですが、そう思えるのは単純に私が "楽天家"だからなのでしょうか)

最後に

強弓を引くだけで技を磨かないのが”一貫流”か?

この問いは「技とは何か?」の問いのように思います。技とは力を持って成しえる事をさらに超えるためのものか。または、大きな力を以てする事を小さな力で再現するためのものか。はたまた、器用さを褒めるためにあるものか。考え方はこの他にもあるでしょう。議論は尽きません。

兎角武技ノ精神ヲ誤ラザル事ヲ一貫流ハ希望ス。

私個人の感傷で もの言えば 一貫流は呆れるほど純朴な流派です。

 

 

 

この巻の末に

今回、一貫流の流儀について私が思う範囲で触れさせて頂きましたが、現在においては弓を引く上で何が正しいか? 理想的なのか? より、一貫流の考え方が自分に合っているんじゃないか?と思う(自分の弓道に取り入れられる)なら、一貫流を引いていいのではないだろうかと私は考えています。
もっとも江戸時代においては「絶対に将来必要になる」との信念から古代の鍛錬法を残そうとしたようですし、明治においては河毛先生自身 後継者不足から一貫流の継承を断念する一方 文章として主意を残して間接的に伝えようとされた事もありますから、どうでなきゃならんというモノとも思ってはおりません。各個人々が自分の弓の信念をしっかり持っていれば良いと思います。

今では一貫流関係者の一貫流に対する思い入れも人それぞれで、流派の復興を望むのは共通していても、昔ながらの練習方法を継承する事は"趣味で行う弓道"の範疇から超えてしまうため そのまま日々の練習に取り入れようと考える人も少ないのが現状です。

(元々竹林流のモノであったけど 2百年間あまり触ってないため 今ではむしろ珍しくなった射礼だけなら(普通の人でも)残せるのじゃないだろうか とか、「射形は連盟型」・「体配を一貫流」にして連盟型の試合にも参加可能な将来像を模索する人や、サークル活動の名前として保存しよう 等 色々あります)

それでも昔からの一貫流を勉強したい。という人があれば 弓以外に(素振りだけでも)槍 ・ 剣 も嗜なんだ方がいいかもしれません。やればやったで身体の運用方法に共通点が見つかったりと 結構 実りはあります。(「弓」だけでは見当もつかず、「弓と剣」でもちょっと確信に欠け、「弓・槍・剣」と3つ以上で初めて見解が開ける。と言う事もあります)

結構、文章が短くなってしまいました。他にも なぜ射技の追及をあまり強く言わないのか?の辺りを「持論を流布するのは 武道家ではなく評論家」の文章に絡めて一段落分取る事も考えましたが、確認のために文献を読み直ししようとすると その時に限って該当の文章を探し当てるのに苦労して結局見つからず終まい。これは「持論を喋るな!」と釘差されているのかな?と思い直した事もあり、ここでは意図的に安易な流派比較で止めました。

ここのコラムのテーマ:「個人的な見解に偏よれど、各個人が探求する必要がある弓の根幹から離れた話」の観点からも 切りのいい所 としてここで筆を置きます。(突っ込みすぎたかもしれませんが)

次回は一貫流の【礼】の巻として、一貫流では礼儀作法とかはどう考えてるの?について触れてみます。